【FF14】光のお父さん【映画】

父親が42歳の時に私が生まれた。

今30代半ばの私。

 

必然と現在の父親は70代後半の年齢となる。

もうすぐ日本人の平均寿命に差し掛かる。

 

まだ今は元気で、全くそういった実感はないが・・

考えたくはないが、考えなければならないことである。

考えることで親孝行すべきと認識し、アウトプットをすることになる。

 

いや、でも考えたくないものである・・・

考えたくないものは考えたくないものなのである

 

 

こう言うふうなことを考えると自分はまだまだ子供だと思う。

でも何でもかんでも、感情に逆らって行動すべきことが大人なのだろうか。

迷ったり、弱気になったり、恥かいたり・・そんなことしても良いのではないか?

いつも真っ当で正しくて、立派でなければいけないのか?

 

私は神でも仏でもない。

人間である。

 

失敗したり、恥かいたり、時には嫉妬したり、羨ましがったり。

そんな感情があって人間なのではないだろうか。

 

そんな人間味ある人であっても良いのではないか?そう思ったりする。

(・・と言うような言い訳ばかりすらすらでてくるように成長した)

 

 

 

先日、光のお父さんの原作者の方の訃報を見た。

・・・・自分より数個上だった・・・まだ全然若いのに。

 

それをきっかけに気になっていた映画版光のお父さんを見た。

映画の中のお父さんは、正直言って、全然遊んでくれなくて、ムスッとしてて、不器用で、子供よりも仕事を優先してしまうような仕事一筋で、全然いいお父さんじゃないな って思った。

 

でも、表には出さないけど、子供のことを大切に思ってた・・仕事一筋で不器用ですれ違っていただけで、ちゃんと子供のことを大切にしている素晴らしいお父さんだなと思った。

一緒に倒せたなというフレーズはグッときた・

 

映画を観た後、原作のブログを読んだ。以前途中まで読んでいたが最後まで読んでいなかった。

そのブログは、私のようなネット創世記に思春期を迎えた者には大変懐かしいコンテンツだったからだ。

その文は、大変面白く文才があった。文章の間の取り方、展開、振り幅、天丼、全てにおいて抜群だ。

 

大変な良質なコメディドラマやギャグ漫画を読んでいるような愉快さ・滑稽さ、ネット創世記に流行った「侍魂」と言うブログを読んでいるようだった。

とても懐かしくとても居心地の良い空間であったので、一気に読んでしまうのはもったいない。

じっくり読んでみようと、中断していたのだった。

 

 

ブログの中のどこかに親孝行という言葉があった。

・・・原作者のメイディーさん。親より先に居なくなってしまうなんて、

あなたは最高の親孝行者だけど、親不孝者だよ・・

とても切ない・・

 

 

がんの手術をしたけど、再発したらしい。まさかお父さんより先に居なくなるなんて・・

自分は、先に居なくならないこと。それが自分なりの最低限の親孝行だと思う。

無事に生きること。それだけは必ず貫き通そうと思った。

素敵な空間や笑いや涙をありがとう

 

ご冥福をお祈りいたします

RIP メイディー

【初心】アウトプット主義【忘備録】

人生の折り返し地点にきた自分を俯瞰的に見つめるために忘備録を書き、今まので歩みを見つめ直したい

 

生い立ち

心構え

気持ち

 

これらを思い返し、今後の人生に生かしていきたい

まだまだ若いと思っている。心のどこかで25くらいの気持ちでいる。実年齢と今の気持ちで10歳ほど差異がある。

 

しかし、精神的には色々な体験をして、成長してきたと思う。

言うべきこと、耐えるべきこと、相手を認めること、自分の気持ちを誤魔化すこと、現実化から逃避すること

 

さまざまな経験をしてきた。

その中で思うのが、インプットではなく、アウトプットが自分の成長や気づきにつながり、一番効率よく経験値を貯めれると言うこと。

いわば、はぐれメタルスライムみたいなものだ。

 

多くの人は、なかなかアウトプットをしたがらない。インプット重視になっている。

この理由は、日本人の気質もさることながら、学校教育に大きく起因していると思う。

センター試験の英語テストをとってみてもそうだ。リスニングすること、リーディングすることはあれど、アウトプットすべきスピーキングがない。

 

教育現場も、先生が多人数に対して一方的に説明して、宿題をさせるのがほとんどだ。海外では討論の授業があり、アウトプットの環境があるが、日本国の教育はそうなっていない。

 

あんだけ一生懸命やった受験勉強だってそうだ。塾の自習室に篭り、夜の十時くらいに家につき、ご飯を食べたら、12時過ぎまで勉強して、また、朝イチで塾に行って・・・1日10時間以上必死に勉強してきたけど、それすらひたすらインプットの作業だ。でもコツコツ毎日勉強することが素晴らしいと教えられ、良い大学や良い就職先に就くことが立派だと社会や周りの大人達に刷り込まれてきた。

 

そうやって、知らず知らずのうちに、インプットばっかやることは長けているけど、アウトプットする場がなく、人間として対して成長してこなかった。よく日本にGAFAはなぜ生まれないのか?と言う投げかけを見るが、私は単純にアウトプットする人の母数が違うからだとおもう。

 

アメリカはチャレンジ精神でアウトプットをする人の割合が日本に比べ圧倒的に多いのだと思う。しかも、人口も2倍もいる。アウトプットする人で比較すると100倍くらいの差があるんじゃないかと思う。そりゃ100倍も母数が違えば、優秀な人も多く輩出できるわけだ。GAFAっ4つぐらいしかない。

GAFAが100社くらいになったら、日本にもGAFAがやっと1つ出てくるんじゃないだろうか。

 

今後この国はどうなるのだろか。今も堅調に成長を続ける企業や存在感のある大企業は、ほとんどが戦前の先人達の遺産で成り立っている。戦後に生まれ、アメリカの手が入った戦後の教育で成功している企業はどうなんだろうか?私個人的にはどうも、モラルや気概に欠けた胡散臭い人たちが相対的に多くなっている気がする。トヨタのような今も世界で一番を取れるような会社は1つもない。というか、先人達の遺産をうまく紡ぐことすらできておらず、どんどん日本の国力が弱まるばかりだ。(豊田佐吉は若い子にテキーラとかのませないわ。)お金を儲けることが第一になって、お金があれば絶対的に偉い。そんな社会じゃあ切ない

 

・・・とかなり話が逸れてしまったが、今までの人生を振り返るとアウトプットすることで多くの経験を得て成長してきた。

 

 

忘備録として、残すことは、

「常にアウトプットであれ。」

 

幸せも、充実感も、豊かさも、すべてそこにある。

行動するかしないかの二択しかない。

行動しかない。

 

しかし、どちらの選択肢もその人自身が決めること。

人生には正解はないが、私の経験ではアウトプットすることに意義がある